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2008年1月27日 (日)

地球最後の男 オメガマン/流血鬼

 終日仕事。ようやく一段落。といっても明日からまた先日提出分の修正作業が数日続く予定。

 夜中、ビデオで『地球最後の男 オメガマン』。昨年最後に映画館で観た『アイ・アム・レジェンド』と同じ原作の二度目の映画化(『アイ・アム・レジェンド』は三度目の映画化)にして、『アイ・アム・レジェンド』の直接のベースと思われる。なぜなら『アイ・アム・レジェンド』のエンドロールではベースになった脚本担当者として『オメガマン』の脚本家二人の名前が出るからです。そんなわけでか、『オメガマン』も『アイ・アム・レジェンド』も、無人の街を車で走ってるという冒頭が同じ。しかし展開はかなり異なる。映画の技術的クオリティは『アイ・アム・レジェンド』の方が圧倒的に上だが、お話の展開的には『オメガマン』の方が圧倒的に突っ込んでると思う。『アイ・アム・レジェンド』は『オメガマン』の脚本をベースにしてるくせに肝心の状況への突っ込んだ展開をほとんど全て放棄してると言わざるを得ない。が、じゃあ『オメガマン』がよく出来た映画なのかというと、今書いたように技術的な部分、そして演出的な部分があまりにも雑なのが問題。そして脚本もせっかくの魅力的な設定をまるで整理してません。その結果、正常な人々と病に冒されて身体異常にある人々の対立がどうにもこうにも浅はかすぎる。この映画を観る限り病気にかかっちゃった人たちは光が苦手になる以外にこれといった苦痛があるとは思えず、『アイ・アム・レジェンド』では凶暴化するという設定だったんだけど『オメガマン』ではそうした傾向も特に見られない。一応攻撃的な描写はあるが、これは病気になった連中が理屈の上で病気にならない人間を恨んでの行動にしか見えない。正常な人間もまた、病気になった人間を理由なく排除しようとしているようにしか見えない。つまりはお互いが人種的民族的差別意識というもっともださい部分で対立してるだけにしか見えないのです。こりゃまたなんとも浅はかなシナリオだと思って観てると、しかし後半、病気から立ち直った少年が「本当に理解しあえないのかどうか確認する」と言い出し、もしかしてこれまでのださい対立はここを際立たせるための伏線に過ぎなかったのでは、であればこの少年の行動から始まる展開をどう描くかで作り手の力量というか器が試されると期待してたら物凄くあっさり浅はかに裏切られてがっかり。しかも劇中、少年の行動を理解できずに対立を続ける人々を愚かなものとして描いてればまだ皮肉として作用するはずなのに、どうやら作り手にそういう意図はないように思えてしまい、物語的には『アイ・アム・レジェンド』より突っ込んでるくせに、作り手が他者は無条件に排除すべきものという考え方に何の疑問も抱いていないことが明るみに出てしまう出来でした。その先の可能性をちらつかせる要素がいろいろあるのにいろいろ残念だ。

 で、不満を抱えたまま寝るのはいやなので藤子・F・不二雄の短編「流血鬼」(藤子不二雄SF全短編第2巻『みどりの守り神』収録版。本書は絶版なので、これから読むならSF短編PERFECT版第5巻『メフィスト惨歌』か、小学館コロコロ文庫『藤子不二雄少年SF短編集』第2巻あたりが手に入りやすいかと思われる)を読む。『オメガマン』では愚かな主人公や愚かな作り手によって否定されてしまった物語のその先にあるはずの可能性をわずか38ページで見事に描いてる傑作でした。共産思想に恐怖のあった時代に作られた映画だけに得体の知れないものは最初から敵対視してしまうのも仕方がないのかもしれないが、しかし会話が通じるのであれば危険かもしれないが話してみる価値はあるのではないか、その先に何かが開けるのではないか、「流血鬼」はそこまで展開させた実に素晴らしい作品だったといえるでしょう。なんてことを長々書きながら、しかし肝心のリチャード・マシスンの原作は読んでないのよね。できればマシスンの原作はこうした方向性も示唆するような深みのある作品であって欲しいものです。

地球最後の男 オメガマン アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫 NV マ 6-5) 藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版 (5) (SF短編PERFECT版 5) 藤子不二雄少年SF短編集 (第2巻)

11:59 午後 日記, 映画, 漫画 | | コメント (4) | トラックバック (0)

コメント

F先生がいちばん偉いことがはっきりしたね。「流血鬼」をこそ日本で実写化したらいいと思いますけど。
じゃあ誰が撮ったらいいか?となると、絶望的ですが。


投稿: ぱいきー | 2008/01/29 14:43:46

F先生タッチの派手な演出をしない、少々突き放した雰囲気まで含めての映画化と考えると、たとえば山下敦弘とかかしら。
個人的には郊外を舞台にした地味な青春映画風な作りが似合うと思うので、『バタアシ金魚』の頃の松岡錠司とかもアリかと。
角川やフジテレビが超大作として、とかなると妙に偏ったナショナリズム的色合いが濃くなるか、物凄く薄っぺらな博愛主義が入り込みそうなので絶対反対。
反対しなくても映画化されなさそうだけど。

投稿: | 2008/01/29 16:23:38

とおりがかりにすいません。オメガマン、監督や脚本の前に
主演のヘストンを良く調べましょう。今見ると大変排他的なことが
強調されていませんか?無差別に感染者を殺戮しています。
感染者もヘストンを攻撃するのに理由なんていらねえ!でしょ?
ヘストンさんそのものじゃないですか?
KKKの残党、ライフル協会会長、どうですか?smile

投稿: | 2008/07/14 11:56:32

確かにヘストンのキャラクターは現実の本人同様に排他的なんですが、ヘストンを攻撃する吸血鬼側もまたヘストンと同じような考え方にすぎず、作り手がそれについて何ら問題意識を持ってないっぽいのがこの映画の問題ではないかと。

投稿: | 2008/07/15 15:15:16

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